スニーカーとカルチャーの濃密な関係

YASUDA

紐解くと面白い名作スニーカーの歴史

ファッションシーンで欠かせないアイテム・スニーカー。

ナイキ、アディダス、ニューバランス…。
機能性も高く、デザイン性も高いアイテムが次々に発売されたり、復刻版が発売されたり…。

老若男女から愛され、常に“スニーカーブームの再来”なんて言われている気がします。

今回は、私も大好きなスニーカーの話。
あるスニーカーと、その流行を支えたアーティストのお話を紹介しようと思います。

アディダスの名作スニーカー「スーパースター」

誰もが見たことがあるアディダスのマスターピース「スーパースター」。

アディダスならではのスリーストライプに貝殻のようなシェルトゥ、“金ベロ”と呼ばれるシュータンなど、そのアイコニックなディティールが時代を超えて愛され、なんとその歴史は今年でちょうど50年!

スポーツメーカーのアディダス。
もともと、このスーパースターも1969年にバスケットボール用のシューズとして開発されました。

それまでのアディダスはスポーツメーカーのイメージが強く、ストリートで身につけている人は少なかったとか。それが1980年代になり、あるヒップホップグループによって、ストリートでも注目を集めるようになったのです。

スニーカーがストリートカルチャーの1つに!

今のアディダスを今日のファッションでも人気のメーカーに押し上げたのがこちらの「Run-DMC」。

ラップとロックを融合させ、アングラのイメージだったHIPHOPを、今のイメージまで引っ張り上げてくれたのが彼らだと言っても良いかと。

アディダスの3本ラインのジャージに、カンゴールのハット、大きな金のネックレスが彼らのシンボル。
まさにHIPHOPな見た目の彼らが、アディダスのスーパースターを紐なしで履いたことから、このスニーカーが若者たちから絶大な人気に。

そんな彼ら、ついには「my adidas」という曲まで発表しちゃいました。笑

ライブではオーディエンスが自分の履いてるスーパースターを脱いで、掲げながらコールアンドレスポンスするのが定番に。こうして若者たちの間でぐんぐんアディダス愛が高まっていったのです。

それを見たアディダス側が、Run-DMCにスポンサー契約を申し出、スポーツブランドとしてだけでなく、ファッションブランドとしても世界に広まっていきました。ちなみにアディダスは、スポーツ選手以外を広告に起用したのは初めてだったとか!(ここでRun-DMCを広告塔に起用しようと決断した人すごい)

そこからさまざまなアーティストを広告に起用したり、コラボしたりしながら、現在のアディダスブランドを確立させ、ここまで来ました。

紐解いていくと面白い、スニーカーの歴史

スポーツシューズとして開発されたスニーカー。

アディダスのキャンパスも、
コンバースのジャックパーセルも、
ナイキのエアマックスも、
ストリートカルチャーによって、
本来のスポーツシューズという目的とは違ったカタチで発展し、今ではファッションアイテムの1つとしての地位を確立しました。

ユニークな歴史を歩んだスニーカー。
アイテムのディテールだけでなく、歴史にも注目してみるといろいろ面白い発見があるなぁと想いながら、発売されたばかりの50周年記念の「スーパースター」をポチるのでした。