今から10年前の2013年6月3日に産声を上げた「株式会社 Cont」。その10年の歩みを数回に分けて振り返ります。会社立ち上げに至ったきっかけや、今だから言えるウラ話が満載。Contスタッフでさえ知らないエピソードも飛び交う実録モノ、乞うご期待!
〜プロローグ〜
これは今から10年以上も前の話。府内町の映画館「シネマ5」を退職後、編集プロダクション、フリーランスなど流転する河野。新卒で印刷会社に入社、その後大分市のデザイン会社で働く敷嶋。2人の出会いがContのはじまり。
お互いの印象をこう振り返る。
「いくつか仕事で手合わせをする中で、自分が書くコピーで世界観を70%くらい表現してパスしたら、敷嶋がデザインで100%…いやそれ以上のものを完成させてくれる楽しさはあって。化学反応というかクリエイティブのシナジーみたいなものを感じたんだよね。」と河野。
「私は…、生まれて始めて出会ったコピーライターが河野さんで。大分にもコピーライターっていたんだ!という衝撃が大きかった。…カルガモの雛が生まれて初めて見た顔を親と認識するみたいな感覚かな(笑)」と敷嶋。
そんなこんなで一緒に仕事をする機会が増え、河野が勤務する広告代理店に、のちに敷嶋が入社し、同僚として働くことになった。
数年が経ち、河野は「effect」という屋号を掲げて独立。しばらくして敷嶋も「Room」という屋号でフリーランスデザイナーとして活動するようになった。互いを信頼し、フリーランスになりさらにタッグを組むことが多かった2人。 当時のメインクライアントは、数年前から付き合いのあったPARCO。「さぁ、自由気ままなフリーランス生活だ」と有頂天な気分で船出しようとしていた河野だが、新聞をデカデカと飾った衝撃のニュースが目に飛び込んだ。
「大分PARCO、閉店へ」。
輝かしい未来への滑り出しかと思われた独立だが、もはやタイムリミット付きのタイマーが動き出す。他にもいくつか仕事は抱えていたものの、河野の計画は急転直下。
「ライター業の傍ら、深夜に工場のバイトでもしないと…」
「もういっそ自己破産か?」
そんなドン底な状況で起こったのが、今もなお語り継がれる“シキシマユニオン”事件。事業の軸といえる仕事がなくなることを想定した河野は、最大のディフェンス策を決行。14歳の頃から集めていた宝物とも言える大量のCDをディスクユニオンに売り、生活費の足しにしようと目論んだ。その数500枚以上。「これでしばらくは暮らせるはずだ…」と、査定額を確認すると、合計5万6000円。
入手困難なプレミアモノも10円。青春の甘酸っぱい想い出の詰まったCDも10円。辛い時期を支えてくれたCDも…10円。これまでの過去を査定されたような気持ちにどんより感が止まらない。なかなか売る決心がつかなかったものの、いよいよ清水の舞台から飛び降りる気持ちで、泣く泣く契約書にサインしようとしていたとき…。 「私が買いますよ」と天の声。
ディスクユニオンに買い取られかけていた河野の宝物は、敷嶋、いや、“シキシマユニオン”が大量購入し、なんとか手元に残すことができた。“シキシマユニオン”に買い取られたCDたちは、今でもContオフィスの河野の趣味コーナーに並んでいる。お客さんに「このCDは僕(河野)の宝物ですよ〜」と話しているが、いまだに買い戻していないので、正確には敷嶋のモノである。
なんとか危機を乗り越え、そこから「コンセプトは?コピー、デザインは?」とあーでもない、こーでもないと夜中まで2人で議論し、ほぼ兄妹ケンカレベルに発展する無我夢中なフリーランス時代が3年ほど続いた。
敷嶋が長浜周辺のワンルームでスタートしたフリーランス生活(夜中にファストフードばかり食べていた記憶しかない:河野談)も終わりを迎え、いよいよCont最初のオフィスとも言える中央町の8ビルへ引っ越すことに。そんなとき、会社を立ち上げる最大のきっかけとなる出来事が起きた…。
<続く>